山野のさといもYmanono Satoimo

山野さといも組合の概況

生産地区 となみ野農協 井波中央支店管内(旧 井波町山野地内)
出荷先
食用里芋
直売、全国、県内など
金沢市場など
種子里芋
直売、JA全農とやま、新潟、県内など

贈答さといも・種子用さといも取扱期間について

10月 調整、選別、出荷、貯蔵および贈答さといも発送
11月 贈答さといも発送、他
12月 贈答さといも発送最盛期、出荷、種子貯蔵
 3月 種子さといも調整、出荷

など

山野のさといもの特徴

品種名(主に大和 、早生 石川早生、 赤芋、八つ頭 )

山野のさといもは、古くから種子用里芋の栽培に取り組み、1部は秋冬里芋に、暮の贈答里芋として販売されています。山野産里芋は、白く柔らかく粘りがあり、もっちりと甘いのが特徴です。地元および全国各地で好まれて出荷されています。
春には、種子用として県内、県外へ出荷しています。また、種子には大和、石川早生、赤芋、八つ頭も栽培されています。

さといもの里 山野

山野さといも組合歩み

昭和 2年 里芋栽培による土地肥沃化を目指し「山野村里芋出荷組合」を設置し栽培に取組む。
昭和 7年 「東砺波里芋出荷組合連合会」を設置し、北海道、樺太、京阪方面へ、県外出荷をはじめ販路を拡大する。
昭和30年 現在の良品種「大和」を主軸として栽培を始める。主として京都、山陰方面(京都青果合同(㈱、または大阪青果㈱)へ出荷を始める。
昭和33年 「富山の里芋種子」としても里芋販売に取組む。
昭和36年 「贈答用里芋」として、県知事が県下特産物の振興を図り県の贈答用として取り扱う。
平成 2年 厳選した里芋「大和」を宮内庁大嘗祭に献上する。
平成 3年 第1回「さといもDAYだぁ~い」全日本いも洗い選手権を開催する。
平成 7年 となみ野農協広域合併にともない「山野さといも組合」と名称を変える。
平成10年 「へにの」特産さといものシンボルマークとして利用し、マークを商標登録する。
平成12年 食用、種子用と、収益性の高い里芋栽培振興により、「富山県農村文化賞」を受賞する。
平成16年 組合の集荷選別、里芋販売など共同出荷体制の確立に努め、「県産業経済功労彰」を受章する。
平成20年 山野さといも組合においても、加工部門を設け、洗い芋などの加工品の販売を始める。→現在取扱中止中

旧山野農業協同組合「共存同栄」回顧誌より

山野のさといもの歴史

1666年(萬治年間)に「芋」としての記録が見えるが、南方原産のこの植物は、イネの渡来以前の主食作物であったとする説が有力で、約600年以前に歴史をさかのぼる事の出来ない、当井波町山野地区では、当時の開拓農民が救荒作物、ないし准主食作物として原村(本村)より持ち込んだものと推測されます。
江戸時代(1802年)には、前田の殿様から琉球芋種が下賜された記録もあり、文化 3年(1802年)には里芋が商われたという記録もあるほど商品としての歴史には古いものがあり、すでに名産としての名を高めていたとも推定されます。
用水が豊富で排水も良好な山野地区一帯は里芋の適地として当時からブランドを確立していたものと推定されます。
山野の里芋に大和(品種名)が導入されてからの経緯。
山野の地に大和(土垂系)が導入されたのは、富山県農試砺波園芸分場(当時)が広島県農試から分譲を受けたと同時の昭和30年か、31年の事です。
しかし、その後昭和33年に奈良県農試から分譲を受けた紀州(エグ芋系)が味覚に優れ、大和は粉質で粘りに欠けたことから人気が湧かず、紀州のほか六月芋(土垂系)、石川早生(蓮葉系)等が主力品種でした。
大和が山野さといもに於いて過半を占めるようになったのは、ようやく昭和48年の事で、雌伏17年ということになります。


アクセス

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