山野のさといもは、古くから種子用里芋の栽培に取り組み、1部は秋冬里芋に、暮の贈答里芋として販売されています。山野産里芋は、白く柔らかく粘りがあり、もっちりと甘いのが特徴です。地元および全国各地で好まれて出荷されています。
春には、種子用として県内、県外へ出荷しています。 また、種子には大和、石川早生、赤芋、八つ頭も栽培されています。
1 月 |
この時期「さといも」は来年の種いもとして冬の厳しい寒さの中、親子肩を寄せ合って、土まんじゅうの中でじっと春が来るのを待っています。 |
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2 月 | ||
3 月 | ||
4 月 |
土まんじゅうでの長い眠りから目を覚まし、親いもから離され選別されてそれぞれの方面へ種いもとして発送され、5月頃には畑に植え付けされ新しい芽を出します。 |
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5 月 | ||
6 月 | ||
7 月 |
畑の中の「さといも」は稲ワラや米ヌカなどの有機肥料の養分で親いもに子いもが、子いもに孫いもが付いて大きく育っています。
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8 月 | ||
9 月 | ||
10 月 |
大きく育った「さといも」は畑から掘り起こされ親いもから外され,選別され、贈答用、青果用にと、出荷されて行きます。 |
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11 月 | ||
12 月 |
1666年(萬治年間)に「芋」としての記録が見えるが、南方原産のこの植物は、イネの渡来以前の主食作物であったとする説が有力で、約600年以前に歴史をさかのぼる事の出来ない、当井波町山野地区では、当時の開拓農民が救荒作物、ないし准主食作物として原村(本村)より持ち込んだものと推測されます。
江戸時代(1802年)には、前田の殿様から琉球芋種が下賜された記録もあり、文化 3年(1802年)には里芋が商われたという記録もあるほど商品としての歴史には古いものがあり、すでに名産としての名を高めていたとも推定されます。
用水が豊富で排水も良好な山野地区一帯は里芋の適地として当時からブランドを確立していたものと推定されます。
山野の里芋に大和(品種名)が導入されてからの経緯。
山野の地に大和(土垂系)が導入されたのは、富山県農試砺波園芸分場(当時)が広島県農試から分譲を受けたと同時の昭和30年か、31年の事です。
しかし、その後昭和33年に奈良県農試から分譲を受けた紀州(エグ芋系)が味覚に優れ、大和は粉質で粘りに欠けたことから人気が湧かず、紀州のほか六月芋(土垂系)、石川早生(蓮葉系)等が主力品種でした。
大和が山野さといもに於いて過半を占めるようになったのは、ようやく昭和48年の事で、雌伏17年ということになります。